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唐代の教坊

 女子十二楽坊の「楽坊」という言葉は、唐代(618~907)の宮廷の「教坊」をイメージしたものである。

 唐代の音楽機構は、おおよそ大楽署・鼓吹署・教坊・梨園から成り立っていた。大楽署と鼓吹署は、天子の宗廟の祭祀や礼楽をつかさどった太常寺に属し、教坊と梨園は宮廷に属する。
 大楽署は雅楽と燕楽(宴席の音楽)を管轄し、また楽師を選考し、歌い手を訓練する責任を有していた。鼓吹署はもっぱら儀仗のなかの鼓吹楽を担当した。

 教坊は、はじめ隋の時代に設置された。唐の初め、宮廷で内教坊が設置された。開元二年(西暦714年)、唐の玄宗が大楽署を改組し、大楽署内の燕楽の楽人たちを分けて四つを外教坊、三つを梨園として成立させた。この後、教坊と梨園の地位は徐々に高まっていった。

 新設された外教坊は、二つが長安、二つが洛陽にあった。長安の右教坊は歌を主とし、左教坊は舞を主とし、宮廷から派遣された中官が教坊を管理した。新設された梨園は、一つは長安宮内にあり、主に法曲を演奏し、また唐の玄宗の新曲の演奏を試す任務も請け負っていた。一つは長安の太常寺内にあって、「太常梨園別教院」と称し、主に新しく創作された歌舞大曲を演奏した。もう一つは洛陽の太常寺内にあって「梨園新院」と呼ばれ、主に各種の民間音楽を演奏した。このほか、宮中の梨園には「法部」が付設され、30人の15歳以下の児童から構成されて「小部音声」と称した。

 これらの機構の中で、宮中梨園のレベルが最高であり、男女楽工数百人を有し、唐の玄宗も自ら教育にあたったので、「皇帝梨園弟子」という称号があった。これに次ぐのが宮中の内教坊で、ここの楽工は容色と技芸、職業劇によってレベルが分けられていた。最高の称号は「内人」で、大型の歌舞を上演するときには歌舞隊の重要な位置を占め、そのために「前頭人」とも呼ばれた。それに次ぐのが「官人」、それから「擋弾家」である。擋弾家の多くは平民出身で、三弦・琵琶・箜篌・箏などの楽器を主に弾いた。芸術レベルで内教坊に次ぐのが長安の外教坊と太常梨園別教院で、ここには楽工が数千人いた。


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