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 蕭

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*1 唐末以前の蕭・洞蕭・風蕭などの名称はすべて排蕭のことを言っており、現在の蕭とは違う楽器である。

 現在の蕭は漢魏六朝時代には(発音はdi、つまり笛)と呼ばれていた。は中国西北の姜族地区から中原地区に伝来した。最初は孔が四つしかなかったが、西漢(前漢)の京房(前77~37年)が背面に1つ孔を加え、五つの孔にした*2
*2 漢の馬融『長笛賦』より。「近世、双笛が羌から起こった……。京房(字は君明)は音律を知っており、そのためにもとの四孔に1つ加えた。君明は孔を後部に加え、これを商声五音華という」

 晋代の楽工・列和は247年に左右に吹く笛(蕭)を六つの孔にし、現在の蕭とあまり変わらなくした*3
*3 『晋書・律励志』「また和(列和)に問う。『笛は六孔ある。その本体の中の空は七である。和はその宮・商・角・征を尽くすことができるか?』」

 唐代には尺八の吹管楽器のことを指すようになり*4、形状は現在の蕭と似ているが、竹膜の孔が加わっている。唐宋以来、次第には蕭や洞蕭と呼ばれるようになった。
*4 宋の陳暘の『楽書』巻一四八。「蕭管の制は六孔。傍らに一孔。竹膜を加え、黄を足して音を一律にする」

 蕭は魏晋南北朝のときからすでに伴奏・合奏・独奏に用いられていた。晋の桓伊は笛(蕭)の三弄調を作っていた*5。魏晋南北朝の相和歌*6の伴奏をする楽隊ではいつも笛(蕭)が使われていた*7。現在の蕭も伴奏・合奏・独奏に使われる。
*5 『晋書・桓宣伝』「伊は……音楽をよくし、一時の妙を尽くし、江左第一となす。……王徽之は京師に赴き、舟を青渓の側に泊めた。徽之とはもともと知り合いではなかったが、伊が岸辺を通りがかると、船中の客が伊のことを口にしていた。後、徽之は使いを送って伊に伝えた。『君はよく笛を吹くという。試しに私に吹いてみてほしい』。伊はこのときすでに貴顕となっており、徽之の名を聞いていたので、車を降り、あぐらをかいて座り、三調を作って華を弄び、車に乗って去った。客と主は一言もかわさなかった」
*6 『晋書・楽志』「相和とは、漢の旧歌である。絲竹さらに相和し、リズムをとるのは歌である。」
*7 『楽府詩集』巻三十『相和歌辞・平調曲』「楽器には笙・笛・筑・瑟・琴・箏・琵琶の七種がある」

 蕭は竹で作られ、直接吹き、孔は前に5つ、後ろに1つで、上端には吹き口が一つあいている。音色は円潤・柔和である。


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