拉弦楽器

拉弦楽器に関する投稿過去ログです。

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投稿者:越智 正純[2003年12月30日 00:15]comment

 おばんでございます。
 
 私のもう一つの趣味で「北海道立北方民族博物館」
のホームページの収蔵資料のリストを拝見したところ、
形は「二胡」そっくりの1弦の楽器が2つあった。展示
してるのは1つであるはず・・・のその楽器はサハリン
とかシベリアに住んでいる方々の物で、話によると、
中国の楽器の模倣(つまりはマネ・・・)ではないか・・・
ということである。

 もっと楽器と演奏方法が進化してたら、シベリアで
十二楽坊ができたかも・・・・・・

投稿者:nkvalensia[2003年12月31日 11:09]comment

越智さま,北方民族博物館のページ見せていただきました。
ロシアのウリチ族(?)が使っていた弦鳴楽器でしょうか?
どのようなルートで民族や文化が伝播していったのか,私も興味をそそられました。
>もっと楽器と演奏方法が進化してたら、
>シベリアで十二楽坊ができたかも・・・・・・
毛皮のステージ衣装を想像してしまいました・・・。

投稿者:安 芳雨[2004年01月04日 15:45]comment

皆様はじめまして。
北方民族博物館にある所蔵楽器ウンマトンコリの話が出ていたのでカキコしてしまいました。
樺太先住民ニブヒ、ウイルタ、樺太アイヌに伝わっていたとされる楽器で口承ではサンタン交易(中国や朝鮮半島、日本との交易、有名な例が蝦夷錦)により樺太アイヌ経由で北海道アイヌにも伝わっていたらしいです。
江戸時代に書かれたとされる樺太アイヌの絵には中央アジアに今も伝わるトブショールと同じ楽器が描かれているし、北蝦夷図説には中国製の三絃と思われる楽器が魚皮製三絃として記述されていたので同化政策による文化破壊が無かったら北海道アイヌの文化と共にもっと発展していたかも知れ無いですね。
因にロシアに影響されていた千島アイヌにはアコーディオンやバラライカ(パラライキ)が伝わり発展していたそうです。
残念ながら千島アイヌの北海道強制移住でかなりの方が亡くなりまた、和人及び北海道アイヌにも差別を受けていた為に加速度的に文化が衰退してしまったらしいですよ。

蘊蓄でした。

投稿者:越智 正純[2004年01月07日 00:09]comment

おばんでございます。

 安様、くわしい解説書き込みありがとうございます。
私が弾ける楽器は、「トンコリ」・・・五弦のトンコリです。
昨年末に札幌市内の北海道アイヌの方がネット通販
で製作・販売していたのを買いました。

 現在は、まともな曲を1曲だけ弾くことができます。
近いうちに、札幌の老師(わかりますよね・・・)に他の
曲の楽譜をお送り下さいますようお願い申し上げるつ
もりです。

 この「トンコリ」、北海道おこしに役立つかも・・・・・

投稿者:梟[2004年01月22日 16:10]comment

 はじめまして。北方民族博物館にある一弦の擦奏楽器は、サハリンの先住民族ニブフ(旧ギリヤーク)の使う「ティンリン」ではないかと思います。昨年夏、札幌でニブフのアンサンブルが伝統芸能の公演を行い、鳴らしていました。弓で弦を擦りながら、唇を触れて、口腔で共鳴させる極めて珍しい発音方法です。ティンリン、トンコリとも、古いモンゴル語の「テンゲリ」を語源とするという話もありましたが、どうか分かりません。

投稿者:越智 正純[2004年01月23日 00:23]comment

 おばんでございます。

梟さん、はじめまして。「口腔で共鳴させる」となると、アイヌのムックリなど「口琴」が思い当たるのですが、そのライブを見逃した私はなんという不幸・・・・・

でも、貴重の上をゆく貴重な情報ありがとうございます。

投稿者:みちこ[2004年01月31日 11:29]comment

二胡もあれば,四胡もあるのですね!どうやって弾くんだろう。

投稿者:梟[2004年01月31日 17:11]comment

 サハリンの先住民族ニブフの一弦擦奏楽器ティンリンは、素人考えですが樺太アイヌのトンコリとは、どうも違う発達をしたのではないかと思います。もっか、網走で再発掘調査が進んでいるオホーツク文化の遺跡から、木製の楽器が出土する可能性は低いのですが、この文化の主体はニブフだといわれています。そうするとかなり長期間にわたって、北海道アイヌと接触していたことになります。時代は下って、アイヌがサハリンに渡ってからも、両方とも交易に携わったわけですから交流があった。それなのに、あの違い。ニブフのティンリンは大陸ルートで受け継がれ、アイヌのトンコリは日本列島を北上してきたのではないかなと思えてなりません。