中国民族音楽界のサイト「華音網站」に、女子十二楽坊に対して旧来の民族音楽関係者はどう見ているかという記事がありましたので紹介します。この記事にはあまり納得できませんね。「ポップスより正統音楽が偉くて、耳が肥えたらみんなポップスを離れる」とか思ってるみたいですし。
今年9月、女子十二楽坊は広州でコンサートを開き、人々に忘れられない印象を与えた。
ここ数年、民楽界では一つの潮流がある。それはひとそろいの美女の組み合わせで、手には太古の息吹の伝わる伝統民族楽器を持ち、舞台に立って別の民族音楽を演奏し、視覚と聴覚から人々の民楽鑑賞習慣を変えている。このように立って演奏する民楽の成功の典型は、最近日本で人気がある女子十二楽坊である。人類の進化は直立歩行に到達し、長い長い歳月を経て、最終的には人類の歴史を変えた。立つというのは見たところ非常に小さな動作だが、民楽にとっては大きな衝撃である。
現在このように「立ち演奏」が民楽をして市場に多大な参考価値をもたらそうとしているということについてはさておくとして、一つの問題は論じるに十分な意義がある。つまり、民楽演奏者にとって、立って演奏するのは困難なのかどうなのか? 立つのは一つの方向なのか? 少し前に、広東歌舞劇院の民族楽団の二胡首席・曹玉栄は星海ミュージック・ホールで個人音楽コンサートを開いた。その間、彼女はこの種の立ち演奏をまねて、二胡を動感あふれる弾き方をした。民楽界では今後、この種の演奏が流行し得るかどうか、記者は広東歌舞劇院の民族楽団団長・陳佐輝に取材し、相反する解答を得た。

美人の小集団、民楽の大きな一歩
記者(以下「記」):美女が立って演奏することについてどう見ていますか?個人的にどう見ていますか?
陳佐輝(以下「陳」):流行っているのは、いわゆる「新民楽」内だ。これは旧民楽と比較して言っている。しかし、こういった方法にはずっと議論があって、民楽界はかつて上海で一度「新民楽」についての検討会を開いたことがある。実のところ、民楽の精華はその古さにある。私は演奏者で、学術研究をしているわけではない。だから、個人的な感じとしては、どれだけ議論があるにしても、こういった形式がすでに成功を収めており、すでに大部分の観衆の好みには合っていると思う。ただ、一部の専門家が女子十二楽坊の演奏を見た後に「彼女たちは風情を売っているだけで、演奏レベルは我々に及ばない」と言う。このような話を聞くと問い返したくなる。あなたは、彼女たちのあのような感覚を持っているのか? 彼女たちのあのような演奏があるのか? 女子十二楽坊は実際には流行音楽(POPS)の感覚を民楽の中に溶け込ませたのであり、これ自体初めての試みだった。
記:このような形式は実際、立って演奏していますが、どんな人が立って演奏することができるのですか? この一歩は超えるには難しいことなのでしょうか?
陳:ある人たちにとっては、立って演奏するのは非常に簡単なことだし、ある人たちにとっては非常に困難なことだ。立って演奏するのは、立つことに意味があるのではなく、演奏に意味がある。演奏には天賦のものが必要だ。舞台訓練も必要だ。陳美は上演で他の人を抜きんでたものがあり、跳んだりはねたりするのは容易ではない。
記:それでは、立ち演奏と座り演奏では、音色や音の性格の上で違いはありますか?
陳:楽器によっては、立ち演奏と座り演奏では違いがないだろうが、立ち演奏は動くものであるから、必然的に演奏の質に影響するだろう。
実際、この種の立ち演奏が増えれば、観衆を引き寄せるものである。
記:あなたから見て、このような立ち演奏の本質は何か?
陳:立ち演奏は実はもっと以前からあったものだが、時代感覚に合わせ、流行音楽の感覚に合わせ、上演の要素に加えた人はごくわずかだった。実のところ、音楽には非常に多くの要素があり、形式はすでにあったとしても、肝心なのは画策した人がどのように発展・拡大させるかということだ。どんなに参考にして悪くなく、どんなに発展して悪くなくても、反対者がいるのは歴史の常だ。たとえば、北京のある二胡の名家は、ある上演で慣例に反して、舞台上に布を広げ、その上にあぐらで座って二胡を演奏した。これは初めての試みというわけではなく、古代宮廷の楽師は皆地面に座って演奏した。だから、彼女もそれを参考にして、その形を発展させたのだった。立っていようと、地面に座っていようと、多くなればそれが面白いわけではない。そう、立っていようと、地面に座っていようと、氾濫すれば面白くなくなるのだ。
記者の感想。美女の立ち演奏は、確実に民楽界に衝撃を与えた。業界内にはいろいろな論争がある。ある専門家は女子十二楽坊のライブ演奏後、甚だしきに至っては口をとんがらかし、これは誰もできないと言った。しかし、市場は最初にカニを食べた人だけを認める。女子十二楽坊の成功は、この種の形式で上演する市場を真っ先に占領したことにある。陳佐輝の観点は急所をずばりと言い当てている。この種の形式を利用した歴史と考えると、中国人で最も早く立ち演奏をしたのはヴァイオリン奏者の陳美(ヴァネッサ・メイ)である。クラシック音楽のヴァイオリンを動的に、セクシーに弾き、舞台上を走り、電子音を加えていた。事実上、陳美も過去の人に学んでいる。クラシック音楽では、ヴァイオリン独奏は立ち演奏するものであり、彼女はその形式を取り入れて、流行の要素に溶け入れさせ、耳目を一新させたのである。立つのは潮流であって、一時的なものだ。
記:民楽界はこのような立ち演奏以外にもこういった方面の試みをするでしょうか?
陳:現在、それぞれの民楽団は交響化の方向に向かう努力をしている。この方面では、彭家鵬が指揮する中国民族広播交響楽団が多くの貢献をしている。
記:で、最近どっと出てきたこのような立ち演奏形式は、広範囲に流行することがありえるかどうかについてはどうお考えですか?
陳:この現象が続くことはありえない。鑑賞習慣の視点から言えば、それは流行音楽から古典音楽への橋渡しにすぎない。人々の素養が向上するに従って、厳粛な音楽を聴く方向に転向する。この変化のためにはステップが大きく、あまり適応していない人たちもいる。だから、女子十二楽坊がこのように流行音楽と伝統音楽を結合させた音楽形式を生じる機運があったのだ。このような流行と伝統の二者を兼ね備えた形式は、観衆にとっては一つの過渡期であり、現在の観衆の需要に適している。しかし、20年経たないうちに、こういった観衆はみな転向し、流行音楽から古典音楽へ移行し、こういった形式を鑑賞する人より多くなるだろう、と私は信じている。
記:あなたは立ち演奏が永続することを否定されました。それでは、交響化以外に、民楽団は何かを試みる前衛的な作品を演奏していますか?
陳:現代作品はどうようにこの問題に直面し、前世紀80年代に現代派作品の風潮が起こったが、主流となるには至らなかった。現代派の作品は、実は元素と素材がすべて中国の最も伝統的な民間音楽に由来するものである。演奏楽器の位置、楽器の合成、意識、時空の距離について、伝統作品と違っているだけだった。観衆を惹きつけはじめても、じわじわと疎遠になり、結局時代遅れになり、観衆は鑑賞しなくなった。
記:では、広東の民族楽団として、あなたはどのようにそれを発展させるのですか?
陳:多元化が進む。交響性・地方性・現代性の三者は欠かせない。主に広東の三大楽種を利用する――潮楽・漢楽・広東音楽。嶺南の特色を出すと同時に、演奏形式も多様化する必要がある。私たちはここ2年間、自己の音楽についていろいろな試みをした。たとえば9月末に私たちは古琴とピアノを結びつけた交響性の非常に強いコンサートを開いた。引き続き、流行的な「激情と浪漫」を行なった。11月、私たちは潮州音楽特別興業をする。12月には広東音楽特別興業だ。私たちは絶えずレパートリーを増やしている。このようにバイキング料理的にお客さんが自由に選べるようにしている。
記者の観察。民間音楽の探索は大きな課題で、一人の力で解決できるものではない。陳佐輝が紹介したように、現在、中国各地の民楽団の多くは交響化の路線を歩み、流行音楽を演じるものあり、前衛的な現代派作品を演じるものもある。いくつもの路線があるのは当然で、市場と時代の淘汰を受けることになる。ただし、主流の方向はやはりはっきりしている。陳佐輝が言うとおり、女子十二楽坊は歴史上の一時期の産物であって、人々が流行音楽から厳粛な音楽へ至る過程の緩衝地帯で生まれたものであり、年月を経れば、人々は各方面の素養を高め、新民楽もまた主流に帰ってくるだろう。
●陳佐輝の簡単な紹介
陳佐輝、1960年広東潮陽生まれ。中国の有名な打楽器楽の演奏家、広東歌舞劇院の民族楽団団長兼打楽器楽首席。1997年、広州で個人打撃楽独奏コンサートを開き、「首届広東音楽全国招待コンテスト」演奏一等賞、「首届山西国際鑼鼓節」の銅鑼と太鼓の芸術項目コンテスト演奏で金賞、「潮州鑼鼓音楽」「喜楽登楼」「神州鼓魂」などのアルバムがある。
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コメントとトラックバック
[No.1] 投稿者:COO[2003年12月03日 00:34]
とりあえず人それぞれの意見はあると思います。
そもそも「十二樂坊」のスタイルが本道か邪道かという論点でみるのはスタンスの問題(要するに考え方の根底的な部分)なんだと思います。ギターにしてもキーボードにしても座って弾いた方がより手元に集中できるということのは楽器をかじったことのある人なら、分かりきったハナシなんですよね。オーケストラだって弦楽器は殆どが座って弾いているでしょ?
じゃあなぜ立って弾くのか?
それはやはりヴィジュアル的な面からでしょうね。メンバーが二胡を座って弾いていたら、それほどの人気は出なかったと思います。
確かにテクニックは十分いやそれこそ「十二分」のものですが、それだけでは華やかさは出ないと思います。
彼女たちが華やかな雰囲気を醸し出しているのはやっぱりあのスタイルだからこそなんだとね。
しっかり下地があるメンバーの卓越した演奏技術と華やかな雰囲気の美女たち。それが十二樂坊なんだと思います。
音楽に本道も邪道もありません。
聞き手側にも色々スタイル、スタンスがありますがボクは聞いてて、「あ、やっぱ音楽はいい」と思えたらそれでイイと判断しています。仮にそれが流行であろうとなかろうとね。
[No.2] 投稿者:沢[2003年12月03日 01:31]
COOさんに同意見ですね。
人前で演奏してみせるということに関して、大事なことは「その演奏者を聴きにくる」と共に「見に来る」という要素も強いですからね。
クラシックのオーケストラの場合、よほどの著名演奏家でない限り、「あの後ろから何列目の左から何番目の人がいい」なんてことはありませんからね(笑)。
もっとも、これは、ポップ音楽界の考え方ですが、それゆえに、女子十二楽坊のメンバー個人のキャラクターは重要ということでしょう。
下世話な言い方をすれば、女子十二楽坊ほど売れる要素を持ったグループはいませんし、加えてのハイレベルな演奏テクニックは素晴らしいの一言です。
[No.3] 投稿者:ことしゃみ[2003年12月18日 23:29]
ひええええ!!「華音網站」の記事が掲載されていて、さらに翻訳されてるうう!(゜ロ゜) ヒョオォォ!。
いや、僕は中国語全然読めないんですけど(汗)、「古筝の曲が聞けるよ」と先生に教えてもらってから、
よく利用しています。もちろん古筝だけでなくほとんどの中国楽器の楽曲が無料で聞けちゃう、
とってもお得なサイトです。十二楽坊でアレンジされている古典曲、伝統曲のオリジナルなんかが、
聞けますので、興味ある方は探してみて下さいね!。
しかし、管理人の松永さんって何者なんですかあ??。すごいです!!尊敬します!!
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