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女子十二楽坊、二人の広西娘

(www.gxradio.com 広西人民広播電台 2004年7月12日15:48)

女子十二乐坊的两位广西妹の日本語訳です。

 女子十二楽坊は最近、非常に人気がある。日本では、中国女子十二楽坊の勢いは王菲をしのぐほどで、驚異的な200万枚のアルバムを売り上げて日本の紅白歌合戦に順調に出演した。これに出演したのはかつてテレサ・テンしかいない。また、この12のバラの称号を得てアメリカ「TIME」の扉にもなった。EMI(百代)と契約した後、アルバム「輝煌」を発表した。張芸謀の大作「十面埋伏」の全世界封切り上映式典に出席する。アジアで人気が出た後、十二楽坊は中国音楽グループとしてグラミー賞を狙っている。中国民楽はまさに欧州から全世界へと燎原の火の如く広がりつつある。

 しかし、この美しい旋風となっている12人のきれいな女性たちのなかで、二人が広西出身であることを知っている人は少ない。

 その一人は二胡と独弦琴を演奏する南寧の女の子・雷滢で、もう一人は笛を吹く賀州の妹・廖彬曲だ。


廖彬曲:わたしたちを美女+才女と呼んでね

二胡を弾いていた指が笛を吹くようになった

 賀州出身の廖彬曲の学芸の道は、普通ではなかった。8歳の時に二胡を弾き始めた。天性の音感が非常によかったので、廖彬曲の進歩は非常に早かった。しかし、あるとき、先生は彼女の最後の指が特に短いことに気づいた。これは二胡を学ぶ人にとって最も致命的な「障碍」であり、演奏技巧の向上を妨げてしまいかねない。そのため、廖彬曲はしかたなく二胡を弾くことをやめ、先生の提案に従って笛を吹くことにしたのだ。9歳のとき、廖彬曲は京城に北上し、笛を学ぶために先生についた。その後、武漢などの土地で学習し、空いた時間があれば自費で雲南などに行って少数民族楽器の演奏を学んだ。中央民族大学の学生であったとき、女子十二楽坊に気に入られて、楽坊で最年少のメンバーとなった。

 11日未明の午前1時、「十面埋伏」の公演に参加した後、廖彬曲は記者と電話で話すことができたのだが、食べることに忙しいようで、電話中も食器やコップがぶつかる音が聞こえていた。

 楽坊で最年少のメンバーだったが、廖彬曲の表現はかなり成熟していた。「あなた方は美しく、中国で最もすぐれた芸術学校の才女のグループだという人たちもいますね」と記者が廖彬曲に告げると、彼女は笑って言った。「その言い方が一番いいですね。単に「美女」とか「才女」だけ言うのでは不充分なの。当初、楽坊メンバーの募集があったとき、技術と美貌がどちらも選抜基準となっていました。だから、十二楽坊のメンバーは美女兼才女なんです」

最も困難なとき

 女子十二楽坊は今は非常に栄光ある状態だが、実は彼女たちにも困難な時期があった。それは楽坊が成立した当初のことだ。日本市場に入るために、日本で2カ月間生活し、ひっきりなしに出演・宣伝をしていた。当時の状況は非常に大変なもので、12人の女の子たちは数間の小さなマンションに2カ月間押し込められていた。廖彬曲はずっと思っていた。もし成功しなかったらどうしよう? そのころは広西に帰って故郷で先生をする方が自分に合っているんじゃないかと思ったこともあったほどだ。

楽しい“十二食坊”

 廖彬曲は言う。「みんなはめちゃくちゃ忙しいけれど、「女3人寄ればかしましい(三個女人是一台劇)」っていうでしょ。わたしたちはみんなすごく賑やかで、毎日笑い声が絶えることはないし、どの瞬間にも笑い声を聴くことができますよ。その上、わたしたちはみんな美食家で、すごく食べるんです。だから「十二食坊」なんてあだ名もあるくらい」

故郷公演が最大の願い

 現在の女子十二楽坊のスケジュールはすでに一杯一杯で、コンサートの予定はすでに年末まで決まっている。いつ、女子十二楽坊は広西でコンサートを開けるのだろうか? 廖彬曲は仕方がないと思っている。「本当に残念なんですが、去年、民歌祭の招待を受けていたんですけど、スケジュールが合わなくて諦めました。けれども、故郷で公演するのはわたしの最大の願いなんです」

 記者が原稿を書き終えたとき、素晴らしいニュースが入ってきた。賀州の関係者は、十二楽坊の知名度を借り、廖彬曲を通じて日本と東南アジアに賀州の文化と観光を伝えようと検討中だそうである。

雷滢:人気がどれくらいあるかなんて気にしない

苦悩の末、舞踏ではなく琴を選んだ

 琴を学んでいる子供はみんな汗と涙の過程を歩んできている。雷滢の言葉「わたしたちには子供時代はない」は、今、気軽に話すことができる。しかし、その中に込められた辛酸は、自ら体験した人のみが経験することのできるものなのである。雷滢の身体的条件はとてもよかった。当時、少年宮に行ったところ、舞踏の先生は彼女を一目見るなり気に入って、試験を免除して採用したのである。しかし、お父さんは雷滢が小さいころにすでにその人生の青写真を描き終わっていた。器楽を学び、ひとかどの技術をマスターすることだ。マスターするためには先生を見つけなければいけない。そうでなければ生活の糧は得られない。

 どうしても娘に二胡を学ばせるため、お父さんの雷一扶は考えた。雷家は二胡の代々の名門であるから、自分が娘の入門の先生となることができるというのが一つ。また、もしみんながやっているからといって同じようにピアノなどの西洋楽器を学んでいたら、そこで抜きんでることはできないだろう。しかし、二胡を学んでいれば違う。そこには民族の生命力があるからだ。雷一扶はこう考えたのだ。

 二胡を学ぶのは味気ないものだ。雷滢は父母の厳格な要求のもと、毎日ずっと二時間ずつ琴を練習した。お正月にも欠かすことなく、遊ぶ時間は基本的になく、いつも琴を学びながら泣いていた。小学校卒業後、雷滢は広西芸術学院付属中学を受験して入った。あるとき、同級生たちは広西歌舞団の著名な独弦子との演奏家・李平に伴奏をしてもらった。学友たちは高く低く流れる琴の音に感動し、衝動的に李平から独弦琴を学んだ。しかし、本当に決心したのは雷滢だけだったのだ。その日の晩、雷滢はお父さんと一緒に李平の家に来て弟子入りし、勉強し始めた。それから一年、雷滢はしっかりとした民楽の基礎を打ち立てていた。

 1997年の冬休み、雷滢は天津に来て、著名な二胡演奏家・趙硯成先生の教え子となった。

長くて寒い冬の中、雷滢は毎日4時間かけて、天津音楽学院と郊外の親戚の家の間を往復した。この一年に、雷滢は生まれて初めて一人で家を離れて旧正月を過ごした。寒い天気には苦しめられたが、このような季節の間に大きな収穫を得た。琴の技術が飛躍的に向上したのである。

出会い、そして楽坊の第一のメンバーに

 2001年、かつて崔健を売り出した有名なプロデューサー王暁京は、中国で最高級のいくつかの芸術学校で女子十二楽坊のメンバーを募り始めた。すでに解放軍芸術学院で二胡を選考していた雷滢が王暁京の目の前に登場した。彼女は一抱えの楽器を持ってオーディションに臨んだ。二胡、独弦琴、葫蘆絲、巴烏を次々と演奏する。王暁京は喜びにあふれ、即座に最初のメンバーとして雷滢を決定した。

 十二楽坊に入選した雷滢は多くの人の目には幸運に見えるだろうが、雷滢のお父さんは記者に向かってこう言った。「わたしは楽坊を鑑賞しない。2002年にウィーンの「黄金のホール」で公演したようなのがいいと思っている。純粋な中国民楽演奏がわたしには合ってるんだ。楽坊の演奏のリズムは早すぎて、こんな公演だったら耐えられない」

 このような見方は、伝統中国音楽愛好家の多くの人たちの見方を代表している。ここからわかるのは、楽坊の演奏がどのように伝統民楽に回帰するのか、どのように西方楽器の精髄を取り入れて、中国民楽の演奏技巧を改良するのか、といった課題は、楽坊が持続的・発展的に解決すべきものだということだ。

 10日夜、「十面埋伏」の封切り上映式典出演前に、記者は雷滢に電話取材した。

 記者:女子十二楽坊現象をどのように見ていますか?

 雷:今のところわたしたちは特別なブームだとみんな言ってます。でも、実際にブームかどうか、それはメディアの宣伝によるものかもしれません。わたし個人にとっては、これは人生の新しい基点にすぎません。最も重要なのは、この事業を心から愛し、音楽を心から愛することです。人がわたしたちをどのように評価するかということは気にしていません。たとえば、何年間ブームが続くのかとか。

 記者:廖彬曲との関係は?

 雷:わたしたちは芸術学院附属中学のときに知り合いました。わたしは彼女より一回年上でした。彼女は食事を作るのが好きで、わたしは食べるのが好き。わたしたちはお似合いですよね。彼女は人好きで、みんな彼女のことが好きなんですよ。

 記者:中国アセアン博覧会が南寧で開かれます。あなたと廖彬曲は広西の人ですが、この会について、あるいは広西の代表として、何か思うところはありますか?

 雷:当然、うまくいくことを望んでいます。わたしたちはこのことについて特別に関心を持っています。もし故郷に帰る機会があれば、きっと見に行くでしょうね。

※翻訳の間違いがあればご指摘ください。




コメントとトラックバック

[No.1] 投稿者:胡桃月餅[2004年07月27日 18:07]

十二楽坊の中国の報道ニュースを見ているとその生成過程というか、誕生までの試行錯誤というか、“魅せる”ことへの凄まじい執念をメンバーにもスタッフにも感じます。“全面鏡張りの部屋でと弾き方と立ち姿を研究した”か“夏の一般のファッションは汗だくのこの状態が日常です”とか“仕事のために愛は捨て去るべきだ”とかまた王氏などは“ソリストでなく絶対バンドでやりたいから、常に人員補充をしていく。他は沢山いるから・・・。”などと他の紙で述べておりますが、結構日本のコマーシャルの癒し系の部分とはまた違ったシビアなビジネスを取り上げているものが多いと思います。また中国の評論家の厳しい論調のモノも沢山ありますね。 それゆえ裏方での本音なんか聞けたりして大変貴重なものと考えています。

[No.2] 投稿者:柴田 迪生[2004年07月27日 22:27]

松永様
いつも楽しく、皆様のご意見情報を拝見させて
いただいております。
実は、松永様の本業?の翻訳にもとても関心があります。
それは、さておいてビンちゃん指について記述の際、「慈悲」は「自費」ですね。
年寄りなもので、細かいところに目がいってしまいます。
悪しからず。ではまた!

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