ちょっと疲れていた。
だからその日、殷焱はめずらしく時間を間違えた。練習時間より1時間も早く着いてしまったのだ。
「ハァ!もういやになるー、何やってんだろう」
ストレスが溜まってるのかイライラする・・・そんな自分が少しイヤになる。
スタッフの人に入ってますか?と聞かれたが、こんな気分の時はゆとりが欲しかったので、時間まで近辺を散歩することにした。幸運にも今日は天気がいい。
少し歩くと公園に着いたのでベンチに座ってMDで音楽を聴いた。これはいつも持っている。
「フフ、やっぱり音楽を聞くと落ち着くし癒されるわ。私の気持ちが安らぐのは音楽しかないわね♪」
と独り言を言った時、足元に子犬が1匹座ってた。可愛かったのでイエンはしゃがんでなでなでした。
「どこから来たの?ヨシヨシ。飼い主はどこー?」
周りにそれらしい人はいない。イエンはもう少し子犬に話しかけることにした。
「お前はいいね、何もしなくてもご飯が食べられて。私はね、働かなきゃいけないの。でも好きな事をやっているのだから幸せなんだけどね、最近たまに思うの。音楽以外は何も考えちゃいけないのにね・・・」
「クゥ~ン・・」
言葉がわかってるかのように子犬が鳴いた。イエンはなぜかそれから先を話さなかった。
「・・・・さて!もう行かなきゃ、じゃあねバイバイ!」
行こうとした時、クーンと甘える声で子犬が足にくっついてきた。どーやら人なつっこいらしい。
「ごめんね、私行かなきゃいけないの。ほら、ご主人様がくるよ」
それでもなかなか離れない。歩いたらついて来るのだ。
「もう!ついてきちゃ、ダメ!」
それでも子犬はついてくる。飼い主は見つからないし、イエンは困り果てた末
「あなた野良犬なの?仕方ないわ。ついてきなよー」
子犬が一瞬笑ったように見えたのは気のせい?イエンはとりあえずそのまま歩いた。
さて練習所に着いたはいいが、この子どうしよう・・・終わるまでここにいるだろうか・・・
「あぁー!可愛い!」
いきなり元気のいい声がしてびっくりした。雷滢と詹麗君 である。
「どうしたのこの子?犬飼ってないよね?」
二人でなでなでしながら、レイが聞いてきた。二人とも犬は大丈夫のようだ。
「それがさー公園で拾ったの、飼い主表現れないからそのままついてこさせちゃった!どうしよ?」
「スタッフさんに頼んで預かってもらいなよ、この子おとなしそうだから大丈夫じゃない?」
「私犬飼ったことないからさーいきなり大勢に囲まれて怖がらないかな?ご飯あげて食べるかな?楽坊で動物嫌いいたっけ?いきなりほえたりしないかな?飼い主探してないかな?」
イエンは不安を一気にしゃべった。ちょっと心配症みたい。
「なんか・・・めずらしいわね、イエンが練習の時以外に熱がこもってるなんて・・・」
「えっ・・・・だって生き物なのよ!」
「そうだけど・・・ねぇ、それで二胡に集中できるの?」
「・・・・・・。」
なにも言えなくなった。たしかに野良犬だったらほっとけばいいんだ。でも可哀そうな事はしたくない!
いつの間にか楽坊メンバーのほとんどで子犬を囲んでいた。それを見下ろしながら呟いた。
「私が精一杯お世話してあげる!」 イエンが変わりつつあった。
とりあえずその日は犬好きと言うスタッフさんに預けて、私達は練習した。ちゃんと集中できてた。
「さぁ終わったことだし帰ろうかーヨシヨシ、名前つけてあげなきゃね!」
「クゥにしたら?今日本で人気のキャラクターのなんだってー」
「へぇ、いいわね!じゃあ決まり~リーチュンが名づけ親ね!アハハ」
こんなに明るい表情のイエンは久しぶりだとみんなが思った。そしてちょっぴりうらやましくもあった。
その日からイエンの家の中は落ち着かなくなった。二胡を弾いてたら寄ってくるし、料理してる時も足元になついてくるし、寝てても布団に入りたいしぐさをするし、そして走り回るヤンチャなとこもあった。
「クゥったら私に二胡の練習をさせてくれないのよーもう困っちゃう」
と言いながらも笑ってるイエンは、大変ながらも楽しい毎日だった。今日も仕事場に連れてくる。
「いつもすいません。家に1人にさせたらすごくほえるらしくて隣の住人に怒られちゃったもんだから」
と雑用係りの女性スタッフに預ける。そして練習に取り掛かる。今日は梁剣峰先生の話からだった。
「みんな、3日後は中国音楽祭だ。楽坊は最初と最後の順番をもらったそうだ。しっかり練習しよう」
私達は緊張なんかしない。プロだから新しい曲でもすぐ弾ける。ミスさえしなければ完璧に。
練習は順調に進んでいったが、後半にちょっと休憩をもらった時だった。あの女性スタッフが走ってきた。
「イエンさんすいません!!ちょっと目を離していたら、クゥちゃんがいなくなっちゃいました!」
「なんですって!部屋中探したの?」
「はい、ここ以外にも違う部屋とかトイレとか、入れるとこならよく探したのですが・・・」
「いないのね。クゥ!クゥ!どうしよう、まさか外に出たとか?」
イエンは外の景色をみてひどく動揺した。この練習スタジオの前は交通量の多い道路なのだ・・!
「じゃあみんな!練習再開するぞ」 パンパンと手を叩いて梁剣峰先生が入ってきた。
「待ってください!犬がいなくなったの、少し探させてください!」
「だめだ。いつもより練習時間が足りないんだぞ。スタッフに頼みなさい」
先生が周りのスタッフを見渡す。みんなハイと口々に言い探し始めた。
「よし、再開だ。1曲目のほうからいくぞ」
イエンの心はそれどこでなかった。道路に飛び出したらどうしよ・・・・車にはねられたらどうしよ・・・
それでも弾いていたが、集中できず・・・「!」 ミスった!いま出だしが0.5秒遅れたのがわかった。
「ストップ!なんか今二胡が乱れたぞ。イエンか?」
すいませんと言ったイエンの顔は青ざめていた。クゥのこと、そしてミスったことの後悔が顔に出てた
「・・・ハァ。仕方ない、5分だけ時間をあげよう。探しなさい」
それを聞いた途端、はい!と大きく返事してイエンは飛び出していった。
二胡をどこに置いたか覚えてない。ただ外に出たかった、あの子が道路に出てないかそれが心配で!
「クゥ!クゥ!」
出てすぐに辺りを見回した。車の通行は激しく向こう側がよく見えない。渡ったのだろうか・・
「クゥ!いないの?出ておいで。クゥ!」
もう涙目だった。お願いだから無事でいて。私を悲しませないで。私を癒してくれる天使なんだよ。ねぇ。
その時、ビルのすき間から犬の泣き声がした。近寄ってみると、クゥだった!寒さで震えているようだったが、どこもケガしてない・・今にも泣きそうな顔してこっちを見てた。
「クゥ!クゥなのね!よかったー・・・無事でいてほんとに良かった・・・大好きだよ!」
イエンは泣きながらクゥを抱きしめた。ズボンが汚れるのも気にしないで座っていた。
「とうとう、この日が来ちゃったね。」
イエンがクゥを抱いて公園に立っていた。出会った場所である。
あの出来事の数日後、クゥの飼い主が現れた。年の近い普通の男性だった。
ーーー実は母に内緒で飼っていたんですがある日バレちゃって、勝手に捨てられたんです。でも諦められなくてずっと探してて・・でやっと昨日、あなたがチロを抱いてるのを見かけたんです!ーーー
写真を見せてもらったが確かにクゥだった。だからマネージャーに代理に話してもらい、今日返すのだ。
「あの日、窓からご主人が歩いてるのを見たのね。だから外に飛び出したんでしょう」
クゥ~ンと返事をしてくれた。イエンは笑顔でクゥの頭をなでながら話しかけていた。
「貴重な体験だったわ。私は音楽以外の事には一生興味ないと思っていたけど、違ったみたい!フフ」
ありがとう。私の知らなかった一面を気づかせてくれて。音楽じゃなくても頑張れるんだ私・・・嬉しい!
ギュッと抱きしめてると飼い主が現れた。挨拶をしてそっとクゥを返した。なんとなくクゥが笑ったように見えた。
「じゃあね、バイバイ。楽しい日々をありがとう」
イエンの心からのお礼だった。最後になでなでして飼い主にお礼を言われると、イエンから去っていった。
うるんだ目で帰っていると、途中に蒋瑾と孫媛 が迎えに来てた。
「泣いてるかと思ったよ。」
イエンは涙をグッとこらえた。
「大丈夫よ。いい経験をさせてもらって感謝してるわ。」
「でも音楽以外の事にあんなに必死になるイエンを初めてみたよ。なんか素敵だった、女の子らしくて」
いつも冷静だから、と言おうとして二人ともやめた。イエンが思い出すように空を見て歩いてたから。
私まだ知らない私がいるみたい。何年かけてもまた見つけるよ!クゥ。
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