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楽坊帝国英雄列伝 民政工部尚書・ジャン・クン by 朝霧


ジャン・クンに迷いはなかった。
「自らを知者、賢者と名乗り楽坊への士官を望む者は数多くおります、しかし、その光を和らげ、その塵に同じうする人物こそ、楽坊が求めている人材なのです」
偶然や運命ではなく必然の出会いだと信じられる、今その瞬間が来たのだと。
目の前の張爽と知り合ったのは数刻前である、それまでお互い一面識もなかった。
前線から戻ったスン・ティンが張爽の報告を受けて周健楠に伝えた喜びの言葉
「最後の光が来てくれました、これで全てが揃ったのです」
ジャン・クンが初めてスン・ティンに謁見した時、スン・ティンから途方もない期待を聞かされる、ジャン・クンを戸惑わせたその期待とは
「楽坊の夢を形にする、これが私の望みでありそれができるのは、貴女だけです」
楽坊時代に生まれた芸術を総じて楽坊様式と呼ぶ、多岐に渡る楽坊様式の中で宮殿や寺院、橋梁等の建築楽坊様式を完成させたのが、民政工部尚書ジャン・クンその人である。
二世聖桜帝以後の居城となる無憂宮、帝国一の大伽藍を誇る竜華寺、太祖スン・ティンを祀る白蘭宮、幾多の勝利に沸き歓呼に包まれた凱旋門など、帝国初期の代表的な建築物の多くはジャン・クンによって建造されたものである、
ジャン・クンの類い希なる創造力は過去のどの時代とも違う世界を作り上げ、彼女が生み出した建築楽坊様式は、時代や地域を超え人々に感動を与え続けている。
そのジャン・クンが二十年の歳月をかけ、太祖スン・ティンの期待に見事に応えて完成させたのが、「自由」である。

楽坊帝国が誇る三都の輝き、王城が鎮座し楽坊帝国の中枢として政治の中心たる帝都「洛陽」、楽坊誕生の地であり、対外貿易の拠点として経済の中心にある商都「建業」、そして太祖スン・ティンの望みを叶えた新都市、楽坊の夢の形、聖都「自由」その公式名称を“望みを統べたもう微笑みの君スン・ティンの都「自由」”と言う。
聖桜帝はジャン・クンの功績を称え、荊州から襄陽、江夏、南陽の三郡を新たに与えようとした、それは所有は一郡までと定めた帝国法に反することであった、それほどまでに聖桜帝のジャン・クンに対する感謝の気持ちは大きかったのである。
ジャン・クンは全ての恩賞を辞退した、ましてや帝国法を犯して三郡を与えるなど統治の根幹を揺るがしかねない軽挙である、ジャン・クンは聖桜帝に楽坊の正統を継ぐ者としての、あるべき姿と果たすべき責任の大きさを心から説いたのである。
「自由」が完成した時ジャン・クンの心を満たしていた感情がなんであったかは本人以外知るよしもない、ただ仲宝に語った太祖との思い出だけが残っている。
「太祖は初めて会った私に「貴女に望みを託します」と仰って下さいました、そして最後まで私を信じて下さったのです。これ以上の栄光はないでしょう、あの日の太祖の言葉は私にとって一生の誉れです」
最後に聖桜帝はこの都市の名をジャン・クンに問う、「自由」と彼女は答える、「自由」は楽坊の別名であり、太祖スン・ティンを象徴する言葉である。

ジャン・クンの建造物以外で後世に伝わる代表作に「張氏山海神異記」がある、全国巡視の際、それぞれの土地に伝わる神話や伝説を蒐集して纏め上げたもので、それは神話や伝説そのものより、それらを守り伝えている人々の心情を大切なもの、美しいもの、と感激し愛しんだ彼女の優しさが全編から伝わってくる名品である。
ジャン・クンが呉の太守として呉城および周辺の開発を手がけていた時のこと、地中より一本の剣が発見される、その剣はイン・イェンの相見により“莫耶の剣”に間違いないとされ呉の人々の喜びようは大変なものだった、しかし伝説の“莫耶の剣”現るの報に楽坊諸将が色めき立つ、官位や金銀財宝には何ら興味を示さない彼女達だが、幼き頃に読み聞かされ憧れ続けた伝説の剣である、しかもイン・イェンが本物と断定したのだ、彼女達には夢にまで見た宝物であろう、願わくば我が手に、と思うのも無理からぬことではある、それでもジャン・クンは莫耶の剣は呉の地で呉の人々によって祀られるべきである、と訴える、“莫耶の剣”は呉の地にあることが最もふさわしいと思えるし、また未だ見つからぬ“干将の剣”を莫耶は待ち続けているのではないかとも思われた、そして何より呉の人々がそれを願っているのだから。
呉の人々は今も“莫耶の剣”を祀り続けている、ジャン・クンへの感謝を忘れずに。ジャン・クンが西門豹、李冰と並び治水の三聖と呼ばれるようになったのも建業と自由をつなぐ大運河の一つ永通渠の開削工事にあって、この難工事を無事に完成させる為にジャン・クンが淮河の蛟を退治したという伝説があるからであり、それはジャン・クンが民衆に愛され感謝されているからこその伝説である。

琵琶を習う仲宝、そのひたむきな姿にかっての自分を重ね合わせるジャン・クン、彼女も幼い頃から父親を師として琵琶を習ってきた、あれほど弾いていたのにいつから弾かなくなったのだろう、不意に初めて琵琶を弾いた日の感動が甦る。
太祖スン・ティンの期待に応えようとして果たせずにいたジャン・クン、彼女に彼女自身の音楽が戻った瞬間、楽坊の夢を形にする最後の扉が開けられたのである、再び音楽を奏で始めたジャン・クンが手がけた建築物は、宮殿であれ橋であれそれぞれがまるで楽器を奏でるように、歌を歌うように個性を主張し始める、同じものは存在しない、まるで楽坊の十三人そのもののような一つの音、無二の個性。
それらが集まり「自由」が完成されたとき、全ての音は見事なまでに調和していた、聖都「自由」には太祖一人だけではなく、十三人それぞれの想いが音楽を奏でている、八大路の中心にはスン・ティンの清澄な調べ、人々が憩う公園には仲宝の優しい音色、そして強い風が吹く日には十三人の音楽は一つにまとまり「自由」から溢れ出す、東風が吹けば勇気を呼び覚まし、南風が吹けば歓喜の輪を広げ、 西風が吹けば追憶の旅に誘い、北風が吹けば慈愛の灯をともす、風は大地を巡り時を渡って十三人の音楽を伝えていく、 世界中の人々へ、そして水や草花に至るこの地球に生まれし全ての生命へ。

帝国の長い歴史の中で民政工部尚書はジャン・クン唯一人である、彼女がその職を辞してからは民政尚書、工部尚書がそれぞれ任命されることとなる。ジャン・クンは孫媛にならい自分の知識や技術を伝える専門学府の設立を願い出る、それは聖桜帝の望んだことでもあり、多くの優秀な後継者が育てられた、しかし、第二の「自由」が造られることはなかった。
かの偉業は一人ジャン・クンのみが許された神の芸術に他ならない。ジャン・クンが晩年に語った言葉が記録に残されている、
「楽坊があって「自由」があるのです、そして楽坊は時代が望み人々が願ったからこそ現れたのです、いつの日か再び時代が望み人々の願いが満ちる時が来るでしょう、その時が来れば私達十三人が再び揃い新たな楽坊が誕生します、そしていくつもの試練を乗り越えて多くの人々の思いが繋がりあい、重なり合って初めて新しい「自由」が誕生するのです」

-2005/02/07
-written by 朝霧



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